訳者からのメッセージ

岩谷智:ペトロニウス『サテュリコン』

卒論再提出——五十年後の『サテュリコン』

 もう五十年近く前のことになります。卒業論文の題材にペトロニウス『サテュリコン』を選びました。おそらくシェンキェヴィチの『クオ・ワディス』(岩波文庫)の影響があったはずですが、しかとした理由はもはや定かではありません。ただ、卒論試問のことは今でも鮮明に覚えています。主査は松平千秋先生、副査はイタリア文学の岩倉具忠先生という、まことに錚々たる先生方でした(岡道男先生はその年、在外研究でマインツにおられました)。

 論文では、「ペトロニウスの諷刺をネロはどのように受け止めたのか」を主題としました。松平先生からは一通り論旨についてのご下問があり、おそらく大過なくお答えできたように思います。ところが最後に、「岩谷君、この解放奴隷の名前は……」とおっしゃったその瞬間、まさに血の気が引きました。Echionを「エチオン」と表記していたのです(正しくは「エキオン」。ギリシア系の固有名詞です)。

 緊張が走ったその場をやわらげてくださったのが岩倉先生でした。「岩谷さん、この小説が書かれたのはヴェスヴィオの噴火の前ですか」と、表面的には答えやすい質問を投げかけてくださったのです。実際には『サテュリコン』の成立年代には諸説あり、簡単には答えられないのですが、「ネロの時代の作品」であることに疑いを全く持っていなかった私は、ためらいなく「はい、噴火の前です」とお答えしました。今となっては、先生のご真意がどこにあったのか測りかねますが、思い出すたびに冷や汗がにじみます。

 卒論の執筆も大変でしたが、古典語そのものの習得はそれ以上に苦戦しました。当時の西洋古典学科ではギリシア語とラテン語の文法が必修で、学生にとっては避けて通れない関門でした。ラテン語は二回生のとき、水野有庸先生の猛特訓をどうにか乗り切りましたが、ギリシア語の単位は四回生の最後まで取れず、担当の中務哲郎先生にお願いして、卒論提出後に追加試験を受けさせていただきました。試験問題を見た瞬間、思わぬ幸運に恵まれたことを悟りました。三回生の夏休みに読んでいたクセノポン『アナバシス』の、しかも第1巻の冒頭だったのです。答案をご覧になった中務先生が、一瞬「狐につままれた」ような表情をされたのを今もよく覚えています。なお、この『アナバシス』は後に松平先生が翻訳され、読売文学賞を受賞されることになります。

 私にとって翻訳の原点は、大学院在籍中に受講した中村善也先生のオウィディウス『変身物語』の授業にあります。伝統的な「読んで訳す」形式でしたが、学生が数行の訳を終え、先生が「では次を」とおっしゃるまでの、あの独特の沈黙――その緊張の瞬間は、学生だけでなく先生にとっても真剣勝負の場だったように思います。私たちの訳がどれほど拙くとも、中村先生はいつも真正面から受け止めてくださいました。ちょうど先生は岩波文庫から出版予定の『変身物語』の翻訳を進めておられた時期で、当時の私は少々(いや、かなり)生意気にも「もしかしたら受講生のだれかの訳がヒントになる箇所もあるのでは」などと、心のどこかで思っていたものです。

 『サテュリコン』を訳す作業は、あの授業の延長線上にあったと言えます。ただ、私の場合は真剣勝負というよりも、トリマルキオの宴に紛れ込んだ客のようなものでした。駄洒落や地口の意味が分からず首をかしげたり、トロイア戦争にハンニバルが参戦していたという珍説に思わず笑ったりしながら、作者ペトロニウスとの軽妙な知的応酬を味わうような心地よさがありました。

 この度、大学卒業以来、心のどこかに引っかかっていた『サテュリコン』が、京都大学学術出版会および西洋古典叢書編集委員の皆様のお力添えによって、いわば卒業論文の再提出という形で日の目を見ることになりました。学恩ある先生方をはじめ、授業をともに受講した諸先輩、同級生、後輩の方々に、この場を借りて心より御礼申し上げます。

 五十年の歳月を経て、ようやくペトロニウスの声と静かに向き合うことができた気がしています。

岩谷智(千里金蘭大学名誉教授)

書誌情報:
岩谷智訳、ペトロニウス『サテュリコン』(京都大学学術出版会 西洋古典叢書、2025年10月)