訳者からのメッセージ

脇條靖弘:プラトン『パイドロス』

プラトンの提示する「説得の技術」

 翻訳を始める前には『パイドロス』に関してそのおおよその内容は把握しているつもりだった。しかし、翻訳のために全体を責任もって解釈しなければいけない立場になってはじめて、以前ははっきりつかめていなかった対話篇全体を貫く大きな流れが把握できたような気がする。対話篇の主題についても、エロスではなくむしろ弁論術が『パイドロス』の主題であるという点は以前から分かっていたつもりだったが、前半になされる三つのスピーチは主として後半の議論で取り上げられる事例としての役割を果たしていて、ソクラテスの二つのスピーチがどちらも「欺き」を含んだものとされている(262D)ことの意味はあまり明確に理解できていなかった。プラトンの提示する「本当の弁論術」は、どんなことがらについても、二つの正反対の方向のどちらにも聴衆を説得できる技術、反対論の技術として提示されている(261E以下)。ソクラテスの二つのスピーチは、そういう技術が実際に正反対の方向に向けての説得を目指して用いられた事例である。その技術は欺きを本性上含むように規定されており、ソクラテスのパリノーディアーでさえ、欺きを実際に含んでいる可能性は高いと思われる。

 ただ、プラトンの提示するこの「本当の弁論術」は、ソフィスト的弁論術の技法とはまったく異なる技術である。それは問答法によって事物についての真実を把握し、さらに、どのような魂がどのような言論によって説得されやすいかを徹底的に探求した者だけが持つことのできる技術とされている。その実現可能性についてはプラトン自身も懐疑的であるようにも見える。しかし、『パイドロス』の主題はあくまで「説得を生み出すことにかけて最も効力を持つ技術は何か」という問題であって、この点に関しては、プラトンは単にソフィスト的弁論術に対してその有効性を疑問に付すだけではなく、『パイドロス』においてより大きな有効性を持つ「代案」(と彼が考えるもの)を提示していることは確かである。この新しい弁論術の提示こそが『パイドロス』の本線の議論であって、イデアや魂、想起についてのプラトン主義が大々的に展開されるパリノーディアーを含めて前半でなされるスピーチの「内容」はこの本線には直接には関係しない。(もちろん、無関係ではないが。)もしわれわれがパリノーディアーの主張に圧倒されるあまり、その内容をそのまま無批判に(プラトンの主張として)受け入れるなら、もしかしたら、われわれはまんまとプラトンの術中にはまり、反対論の技術の餌食になっているかもしれない。反対論の技術は、他人を欺くことだけでなく、他人によって欺かれないようにすることにも用いられるとされている(261E-262A)。この技術を獲得することはわれわれにはできないとしても、パリノーディアーの「内容」に対してはいくぶん批判的に見ることを意識することが必要ではないだろうか。

 最後に、翻訳には「付記」などを付けておらず、お世話になった先生方に訳書の中でお礼を述べることができなかったので、この場を借りて謝辞を述べさせていただきたい。

 翻訳に際しては、なんといっても二人の先生に多くを負っている。藤澤令夫先生と内山勝利先生である。二人の先生に比べて、自分がいかに未熟であることか。藤澤先生については、先生のあまりに偉大な業績『パイドロス註解』を前にして、はじめから身がすくむ思いだったが、先生の注釈に目を通す作業を通じて、あらためて藤澤先生の読解の深さを思い知らされた。この『註解』が出たのは藤澤先生が32歳の頃である。私のような凡人にはとても信じられない。内山先生は、翻訳の最終段階で、ありがたいことに実際に私の文章を一部直してくださった。私の最初の訳では、軽快なやりとりを伝えたいと意識するあまり、不適切なカタカナなど古典の翻訳にふさわしくない表現が山のようにあった。また、後から自分で読んでも意味の伝わりにくい文章もたくさんあった。内山先生はそれらを丁寧に指摘してくださった。先生のご指摘は翻訳の全体にわたるものではなかったが(おそらく先生は「これだけひどいと切りがない」と途中で見放されたのかもしれない)、先生の指摘があったおかげで、先生の指摘がなかった部分にも推察からある程度の改善を施すことができたのではないかと思う。むろん、そういう改善が施しようのない部分はまだたくさん残っているはずであるが。また、内山先生のくださったコメントは古典的教養に満ちており、その点での私の理解の浅さを思い知らされた。

 この翻訳は朴一功先生から最初にお話をいただいて始まった。朴先生からは最後にエロスの「翼」についてのコメントを頂戴し、補註に反映させることができた。早瀬篤先生のいくつかの論文、特に問答法の斬新な解釈を提示したPhronesis誌掲載の論文からは、多くの示唆をいただいた。校正の最終段階では、京都大学学術出版会の匿名の校閲の先生が隅々まで目を通してくださり、そのおかげで大量の誤りを訂正することができた。また、プラトン以外の文献について校閲の先生が的確にご指摘くださったことで、ここでも私の古典的教養の浅さ故に生じていた誤りもいくつか訂正することができた。編集担当の國方栄二さん、和田利博さんには本当にお世話になった。特に和田さんの綿密な仕事なしにはこの翻訳はとてもやり遂げられなかった。

 『パイドロス』は山口大学に着任して最初の年に授業で取り上げた対話篇であり、何か因縁めいたものを感じないこともない。翻訳の作業を始めてからは、数年にわたって再び授業の題材に取り上げた。関連する授業に参加してくれた山口大学の学生諸君にも感謝したい。

 修正しきれなかった誤りは、もちろん、すべて私の責任である。

脇條靖弘(山口大学教授)

書誌情報:脇條靖弘訳、プラトン『パイドロス』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2018年7月)