著者からのメッセージ

丹下和彦:ルキアノス『食客──全集3』

ルキアノス雑感

 ルキアノスの作品は比較的早い時期に接した古典作品だった。学生時代に古書店を巡り歩いて手に入れたもの(養徳叢書の呉茂一訳、東京堂の高津春繁訳のものなど)は、いまだに本棚の奥に収まっている。以来50年が経つ。が、当時興味をもって読んだものをいま己の手で訳すことになろうとは、ついぞ思わなかった。

 ルキアノスの面白さは何だろうか。端的に言ってしまえば、まずそれは文明批評であるということだろう。作者ルキアノスは自分の生きている時代の時々刻々の出来事を取り上げながら、それだけにとどめずそこに時代と場を超える普遍的価値観を付与する。時評が時評だけにとどまらず、批評の域にまで達する。これには彼の資質とともに、その出自と履歴も大いに与って力あったと思われる。

 ルキアノスはギリシア人ではない。シュリア人である。中東のユーフラテス河の流域に生まれ、一念発起してエーゲ海域に上り、さらにイタリアからアルプス以北のガリアの地まで遍歴したのち、40歳を超えてアテナイに落ち着いたというのが、その経歴である。昔の人はわたしたちの想像以上に遠隔の地を往来したものだが、それにしても長く広範囲な旅程である。それが彼の人格と学識の形成に影響を与えたであろうことは想像に難くない。

 時代は後2世紀である。古典後期と分類される時代だが、いわゆる「第2次ソフィスト時代」と呼ばれる古代ギリシア文化の再生時代に当たっていた。非ギリシア人という出自。長い遍歴生活。その中で身につけた古典ギリシア文化(弁論術と対話術、すなわち修辞学と哲学)。そして後2世紀という時代。こうしたものが時代に密着しながらも決して執着はしない立ち位置と対象に埋没せぬ批判および諧謔の精神とを、彼にもたらした。ローマ帝政期のアテナイという環境とホメロス以来のギリシア伝統文化の中にあって、修辞学を基盤にした言語操作、そして対話という文章構成法にうまく溶け合わせた喜劇的風味。これが彼に文化史上特異な地位を与えた。

 古典期には喜劇というジャンルが市井の庶民の生活状況を活写したが、その場は劇場であり、文の形式は韻文だった。ルキアノスはこれを散文形式に替え、受容の場を劇場から個人の居宅へと移した。このことは、近代小説という文芸ジャンルでの創作行為とその受容という芸術様式の遠く遥かな誕生を思わせる。近代小説という領域に至るまでにはまだかなりの時間と距離があるが、進路は間違っていない。問題は、読者個々人の感情をじゅうぶんに受け入れるに足るだけの多面的かつ重層的な作中人物がこの段階ではまだ登場するに至っていないことだろう。そういった人物が登場してこそ―――ほんとうに面白い文章はそういうところで生まれるものだ。

丹下和彦(大阪市立大学名誉教授)

書誌情報:丹下和彦訳、ルキアノス『食客──全集3』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2014年10月)