著者からのメッセージ

安井萠:リウィウス『ローマ建国以来の歴史5──ハンニバル戦争 (1)』

リウィウスの人物描写

 リウィウスの第3デカーデ(ハンニバル戦争の時代を扱った第21~30巻)を読んでいて、「おや?」と思うことがある。記述内容が時おり前後で食い違っているように見えるのである。わかりやすい例を一つあげてみよう。ハンニバルは包囲したサグントゥムの住民に対し、和平の条件として一人一着だけ衣服を携えて町を去るよう求めたと、ある箇所で言われている。ところが別の箇所では、彼が求めたのは一人一着ではなく二着だったとされる(第21巻第12~13章)。この不統一ははたして作家のミスなのか。それとも理由があることなのか。私は訳註においていちおう後者の解釈を示したが、しかしもちろん前者のような理解もありうるだろう。

 こうした記述の「ずれ」は、人物の描き方にも見て取ることができる。たとえば、イタリアへ侵入したハンニバルを最初に迎え撃ったローマ人将軍スキピオ。かの大スキピオの父親であるこの人物は、リウィウスに言わせれば、ハンニバルに匹敵する名指揮官だとされる。彼に対し敵将もすでに対戦前から敬意を抱いていた、とさえ述べられる。ところがリウィウスが描く彼の対戦後の振る舞いを読むと、あまりポジティヴな印象を受けない。彼はなるほど思慮深いが、しかし力弱い将軍以外の何者でもないのである。こうした印象は、作家のちょっとした言葉づかい――戦闘で負った傷のせいで彼は「意気消沈」していた(第21巻第52章)、というような――によっても強められる。スキピオがハンニバルに敗れたのは事実だとしても、もう少し取り繕った書き方がされてもよさそうなものである。

 もう一人、フラミニウスの例を見てみよう。彼はリウィウスによると札付きの悪人である。民衆の間での人気をいいことに、元老院をないがしろにし、神々の意思すら顧みない。自らの名誉のため、無謀ないくさへと猪突猛進する。トラスメンヌス(トラシメヌス)の戦いでローマ軍が惨敗を喫したのは、とどのつまりこの愚将のせいである、というのがリウィウスの言わんとするところである。ところが、叙述の場面が熾烈な戦闘シーンに移ると、作家の筆致はにわかに変化する。敵に急襲されてもフラミニウスは落ち着きを失わず、混乱におちいった兵士たちを叱咤激励する。そしてなんとか軍勢を立て直そうと奮戦したあげく、ついに敵の槍に刺し抜かれて倒れる(第22巻第5~6章)。このありさまは、もはや愚かな将軍のイメージではない。まさにローマ的武徳を体現した勇将の姿そのものである。

 古代の文学作品において、登場人物は定型的に描かれるのが普通である。賢者はあくまで賢く、愚者はあくまで愚かに、といった具合に。リウィウスの人物描写の仕方も基本的には同様なのだが、しかし以上見たように、そこには時おり変則的な部分が見て取れる。これを彼の記述の一貫性のなさと解するか、一つの特徴と解するかは、意見が分かれるところだろう。いずれにせよしかし、私はこの変則性をおもしろいと思う。立派な指揮官が強敵を前にして弱気を見せたり、あるいは唾棄すべき性格の人間が死ぬ間際に一瞬の光芒を放ったり。非の打ちどころのないヒーローや、ただただ悪いだけの単純な悪党より、こちらの方がよっぽど魅力的な人物造形といえる。

 もちろんこれはかなり現代的な読み方である。だが古典の読み方には、いろいろな流儀があってよいのではないかと思う。

安井萠(岩手大学教育学部准教授)

書誌情報:安井萠訳、リウィウス『ローマ建国以来の歴史5──ハンニバル戦争 (1)』(京都大学学術出版会西洋古典叢書、2014年4月)