Q&Aコーナー

質問

 ギリシャ語、ラテン語はいつ、どのように日本に入ってきて学ばれるようになったのでしょうか。

(質問者:舞野 様)

回答

 確認できる限りでは、ラテン語の文献やラテン語の知識を有した人々が最初に日本に来たのは16世紀半ば以降です。フランシスコ・ザビエル(1506-1562)が来日したのが1549年ですが、彼はパリ大学で学んだ高学歴の人物でラテン語のみならずギリシャ語の知識もある程度あったと思われます。またメルキオール・バレト(1520–1571)という別のイエズス会士が1550年代終わりに来日していますが、バレトはまとまった量のラテン語書を含む図書を日本に残しており、これが記録に残る最初の国内の西洋図書コレクションとされています。続く1580~1610年代には国内でイエズス会による日本人神学生養成も行われ、この過程で一部の学生はラテン語を詳しく学び、散文だけでなく古典的な韻律の韻文も書いていたことが確認できます。これら近世日本人が書いたラテン語テクストの一部は欧州の文書館に現存しています。

 なお日本人カトリック神学生養成は19世紀半ば以降、パリ外国宣教会の主導のもと再開され、20世紀半ばまでは再度ラテン語を使って報告書や書簡を書けるまでに学んだ日本人神学生や司祭たちがいました。ただ1960年代の第2バチカン公会議以降、カトリック教会の中の儀式以外のラテン語使用が限定的になるにつれ、日本を含む世界のカトリック教会位階組織でもラテン語の重要性や習熟度は低下していきました。

 ギリシャ語も上記カトリック神学生養成の中で一部学ばれていたようですがラテン語と比較すると非常に限定的でした。なおカトリック神学生教育は、カトリックやキリスト教が少数派の日本においては一般の高等教育と切り離されており、上で述べたような本格的なラテン語教育を受けた日本人神学生や司祭たちが一般社会における西洋古典語や西洋古典文化の教育啓蒙活動に関わった痕跡は非常に少ないです(全くないわけではありません)。

 他のキリスト教諸宗派(プロテスタントや東方正教など)も19世紀後半より日本で宣教・教育活動を始めており、この中で特にいわゆる聖書ギリシャ語も一部教えられていました。ただカトリック教会をめぐる状況と同様、このような教育が一般社会に大きく広まった痕跡は回答者が知る限りではありません(今でも新約聖書をギリシャ語で読む会のようなものは信徒やキリスト教に興味を持つ方々が個人的に行っている例がありますが)。

 現在の日本の大学におけるギリシャ語・ラテン語学習を含む西洋古典研究のルーツは明治期に来日したいわゆるお雇い外国人たちにまで辿れます。東大で講じた哲学者・美学者のラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)が特に有名ですが、彼以外また彼以前にも法学、文学、史学、医学や薬学などの分野でギリシャ語やラテン語をある程度国内で、日本人を対象に講じた外国人たちがいました。文学、特に言語学の分野では、彼らあるいは彼らの邦人弟子たちからまず学んだ田中秀央(1886-1974)、呉茂一(1897-1977)、泉井久之助(1905-1983)らが20世紀前半、欧米でも研鑽をつみ、帰国後各種語学書を編纂しこれらの言語の知識を広めていきました。現在の日本における西洋古典学の礎は彼らが築いたものです。

 まとめてみますと、ラテン語の本格的な知識は16世紀以降一旦日本に入ってきてはいますが、これは一般社会には根付かず、今大学などで学ばれている日本の西洋古典学系のギリシャ語・ラテン語教育の伝統は20世紀始めから徐々に広まったものです。以前のQ&Aの回答(こちら)に詳しくありますが、16~19世紀にも日本人用のラテン語文法書や辞書はありましたが、おおむねカトリック神学教育のためであり語学的な内容は本格的ですが一般人の教育に使われるものではありませんでした。今の大学で使われるようなラテン語文法書は1910年代、ギリシャ語文法書は1930年代にようやく現れており、戦後、文系教育や大学組織の拡大にともなって新しいものが多く出されるようになっていきました。

(回答:渡邉顕彦)