Q&Aコーナー

質問

 古代ギリシア・ローマの雨具は、どのようなものがありましたか?

(質問者: N.S.様)

回答

「古代ギリシアの雨具について」

 ご質問ありがとうございます。結論から先に申し上げますと、あまりちゃんとした雨具といったものはなかったようです。その理由として、まず、そもそもギリシアでは降水量が日本に比べ、ずっと少ないということが一因に挙げられようかと思います。とはいえ、雨が全くふらなかったわけではありませんし、農業が生業の基本だった古代ギリシアにおいて雨に無関心だったわけでもなく、また時には暴風雨などに悩まされもしました。というわけで、以下では、雨に対する古代ギリシア人なりの対処法を幾つかご紹介するとともに、比較的多くの情報が得られる日傘についても記しておきます。ご参考になれば幸いです。

 ヘシオドスは、『仕事と日』の中で、寒さの厳しい時期の農作業の雨対策として以下のように忠告しています(543-6行)。

「季節の寒気がやって来たら、初子の仔山羊の皮を、
牛の腱で縫い合わせ、雨よけとして、
背中に羽織るとよい。頭の上には、
耳を濡らさぬよう、フェルト製の帽子を被れ。」(中務哲郎訳)

 また、犬皮製のつばなし帽が雨よけに使用されたことも喜劇(アリストパネス『雲』267-268行)より窺えますし、フェルト製で幅広のつばのついた旅行用の帽子ペタソスも、同様の機能を果たしたようです。ただ、そうはいっても限度があるでしょうから、基本的に雨の日はあまり行動しないということだったように思われます。実際、雨の日を神様の恵みとばかり、農作業をお休みにして家でくつろぐ様子をまた別のアリストパネスの作品(『平和』1140-1149行)は伝えています。

 海上でも事情は同じようで、アンティポン第5番弁論「ヘロデス殺害」では、甲板のない船に乗っていた航海中の一行は、途上、嵐を避けてメテュムナに寄港し、甲板付きの船に乗り換えてそこで一晩明かしています。

 それから、実用的な雨具の話からはズレるのですが、前427年プラタイア人がスパルタの攻囲から雨風激しい闇夜に紛れて脱出行を試みた際、トゥキュディデスは、彼らが「また泥地に踏み込んでも滑らぬための用心に、左足だけに靴をはいていた」(3.22:久保正彰訳)と語っています。これについては、右足に靴を履かなかったのは裸足の方が滑りにくかったからではなく、monosandalismという宗教的儀礼行為だったとの興味深い指摘がされています。

 宗教に話題が流れたところで、日傘についても述べておきます。オリエント世界発祥の日傘は、『アンブレラ―傘の文化史』という本によれば、前8世紀にはエジプトからギリシア世界取り入れられたとされています。ギリシア世界では、日傘はもっぱら女性たちに利用されたほか、幾つかの祭祀において使用されました。例えば、アテナ・スキラを祀るスキロフォリア祭(スキロフォリオン月12日)では、アテナ女神官とポセイドンとヘリオス神官にエテオブタダイ氏族の者が大きな傘を掲げましたし、パンアテナイア祭においても、「籠持ち」役に日傘をかざす付き人が従いました。その他、デメテルやディオニュソスの祭祀にも日傘は使われました。

 さて、その日傘の形ですが、アリストパネスの一節に「旦那のお耳は、傘(からかさ)みてえに、開いたりしぼんだりしたんでね。」(『騎士』1347-48行:松平千秋訳)とありますので、何かしら折りたたみ構造を持っていたようです。ただ、アンテステリア祭での日傘を描いたと思われる陶器画(図1)の方では、非対称的な形状をしています。時代による違いか、目的ごとに傘の種類が違ったのかまでは、よく分かりません。

(回答:齋藤貴弘)

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図1 アンテステリア祭の様子を表したとされる陶器画(前440年頃:ARV2 1301, 7)
CC-BY-SA-4.0 © ArchaiOptix
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Penelope_Painter_ARV_1301_7_satyr_swinging_a_woman_-_satyr_escorting_the_Basilinna_(02).jpg

「古代ローマの雨具について」

 ギリシアと同じようにローマも地中海性気候のため、基本的に雨が降るのは冬に集中していました。冬は、これと言った農作業を行うことはせず、航海も控えていましたから、雨具をわざわざ使って積極的に野外での活動を行うというよりは、屋内で過ごすことが多かったと想像されます。

 もちろんそれでも最低限の旅や野外活動を行うために雨具が必要とされることはあったでしょう。一般的な雨具としては、パエヌラpaenulaというコートが使われました。これは大きな布に頭を通すための穴が開いたもので、袖はなく、現在のポンチョのような形態でした。素材としては羊毛が一般的でしたが、亜麻や革からできたものもあったようです。フードがついていた一方で、身体の動きを少し制約する代物だったようです(大プリニウス『博物誌』第24巻第138節、キケロー『ミロー弁護』第54節)。

 後1世紀の小セネカ『自然研究』第4巻第6章第2節では、雹が降ってきた時の人々の予想される対応として、パエヌラや革の外套scorteaを取りに行くことが挙げられています。同じくユーウェナーリスは「春の空が冷酷な霰を降らせて怒っているときでも、猛烈な雨が私の合羽をびしょ濡れにするときでも」(『風刺詩』第5歌第78-79行。国原吉之助訳、岩波書店、2012年より)と歌っており、より明確に雨具としてのパエヌラに触れています。マールティアーリス『寸鉄詩』第14巻第130歌も旅に携行すべき雨具としてパエヌラを取り上げています。

 パエヌラという語がラテン語文献で初めて確認されるのは、プラウトゥス『幽霊屋敷』第991行で、おそらく前3世紀にはローマに伝わっていたと考えられます。旅行者や駕籠かき、騾馬追い、兵士などはその必要上、特に利用の機会が多かったでしょうが、男女貴賤の別を問わず、社会の様々な人々によって着用されていたことが史料から確認されています。

 また、おそらくケルト語に由来するククッルスcucullusあるいはククッリオーcucullioと呼ばれるフードもありました(大カトー『農事論』第2章第3節など)。これはマントや革のコートと組み合わせて用いられ、やはり素材としては羊毛で作られるのが一般的だったようです。現在の雨合羽のように頭から全身を覆えたことはレリーフや像からも確かめられます(図2)。

 なお、傘はローマでも基本的には日傘として利用されました(マールティアーリス『寸鉄詩』第14巻第28歌)。また、傘は成人男性よりも、女性や愛人男性との結びつきが強いものとして意識されていたようです(オウィディウス『恋の技術』第2巻第209行、マールティアーリス『寸鉄詩』第11巻第73歌、ユーウェナーリス『風刺詩』第9歌第50-54行)。

(回答:田中創)

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図2 ククッルスを着用したプリアプス小像(後1世紀:Musée de Picardie à Amiens所蔵)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mus%C3%A9e_Picardie_Arch%C3%A9o_03.jpgより

主な参考文献

  • T. S. クロフォード(別宮貞徳・中尾ゆかり・殿村直子訳)『アンブレラ―傘の文化史』八坂書房, 2002年.
  • Th. Hope, Costumes of the Greeks and Romans, 2 vols. 1812, (One volume ed. 1962, N.Y.).
  • R. Kreis-v. Schaewen, s. v. “Paenula”, Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft, Band XVIII (Stuttgart, 1942), coll. 2279-2282.
  • S. Hornblower, A Commentary on Thucydides: vol. I: Books I-III, Oxford, 1991.
  • A. Mau, s. v. “Cucullus”, Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft, Band IV (Stuttgart, 1901), coll. 1739f.
  • J. Radicke, Roman Women’s Dress: Literary Sources, Terminology, and Historical Development (Berlin, 2022), pp. 375-378.