Q&Aコーナー

質問

 長くなるかもしれませんが、古代ギリシャの体育思想について質問が。

 さて私は単純に、学校教育における体育に疑問を持っていますが、以下のように個々の種目を挙げるとキリがありませんが、小中高と、鉄棒、マット運動、跳び箱、水泳、マラソン、サッカー、野球‥等々の競技を、ほぼ強制的に授業でやらされるわけです。別に、将来スポーツ選手になるわけでもなんでもないのに。自分の好きな競技をやれる回はともかく、それ以外は苦痛でしかないでしょう。酷い場合には同級生や教師にバカにされるわけですし。

 と、愚痴を連ねてしまいましたが、現代スポーツの源は、武道などを除けばだいたいは古代ギリシャに遡るわけですから、古代ギリシャのプラトンやアリストテレス等の体育思想を学ぶことで、現代の学校教育における体育のあり方を批判できないかと思い、論文を3つくらい読んでみました。で、少しは彼らの考えがわかった反面、「オチ」のようなものは全く見えず。そもそもこの手の論文や研究書自体少ないという印象。今のところ、現実主義として知られるアリストテレスの体育論なら理想主義のプラトンより傾聴すべき点があるかなぁという気はしますが‥

 西洋古典学会の皆様は、古代ギリシャの体育思想についてどのような見解をお持ちでしょうか。

(質問者:弦左衛門 様)

回答

 ご質問ありがとうございます。

 現代日本の教育に「体育」という必修科目があるのは、西洋で断続的に受け継がれた古代ギリシアの教育の理念と実践を、明治期に教育システムに取り入れたからです。ただし、「算数、数学」という教科がプラトン哲学に由来する「自由学芸」の一部として理念的に重視されたのと比べると、「体育」は古代で誰かが明確に理論化して採用されたというより、伝統的に初等教育の一部として受け継がれていたようです。

 各ポリスにギュムナシオン(体育場)やパライストラ(レスリング場)を設けて日々運動競技の練習に打ち込むギリシア人の文化は、近隣の諸民族には特異な姿に映ったようですが、ローマ帝国をつうじて一般化していきました。すでに古典的な研究ですが、H. I. マルー『古代教育文化史』(横尾壮英・飯尾都人・岩村清太訳、岩波書店、1985年)が資料を紹介しつつ検討しています(特に、第2部第3章が詳しいです)。

 ギリシアの体育・スポーツの特徴は、軍事教練などとは直接に結びつかない、実用性のない競技のための競技という点にあり、その背景には「実践(プラークシス)」より「観想(テオーリアー)」を重視する文化、「競争(アゴーン)」を追求する文化がありました。オリンピック競技会など、スポーツが宗教儀式と関連して神々に捧げられていた点も考慮が必要です。

 体育を重視する文化のなかで、ギリシアの諸ポリスでは子供の頃(おそらく7歳ごろ)から「体育、音楽、読み書き」が学校で教えられていました。プラトンは『ポリテイア(国家)』第2〜3巻で「文芸(ムーシケー)と体育(ギュムナスティケー)」を二本の柱にして理想の教育を論じましたが、それは実際の教育への批判的検討でした。詩の教育を中心とする文芸が魂の涵養であることは明らかですが、体育は身体を鍛えることで魂をバランスよく形成することが目指されており、その意味で体育も魂の教育の一部でした。アリストテレスは『政治学』第8巻第3章で、プラトンと同様に、文芸と体育の教育の必要性を論じています。

 プラトンの同時代では、イソクラテス『アンティドシス』の教育論も体育教育を論じており(180〜185節)、厳しい反復練習を格闘技の型に習熟するための訓練として位置づけています。イソクラテスはプラトンとは違って、より実践的な場面を重視していましたが、体育が実生活で何かの役にたつとは論じていません。

 少年期の体育だけでなく、青年期以降により本格的な体育競技に従事する人たちもおり、オリンピックなどの各種競技会で優勝するためにプロの訓練をしていました。そんな運動選手が社会で喝采される様を、古くはクセノファネス(断片2DK)やエウリピデス(『アウトリュコス』断片)が痛烈に揶揄しましたが、それは体育一般への批判というより、特殊な技能を磨いて国規模で賞賛されるスポーツ競技に対する批判でした。

 批判的な態度はまさに古代ギリシアの特徴で、現代の私たちが学ぶべきものです。すでに長く受け継がれた制度であっても、つねに是々非々の検討が必要で、体育思想を検討する場合には二つの方向があります。一つは、子供に「体育」という教科が必須であるという基本そのものを反省する方向、もう一つは、基本理念はよいとして、実施の仕方、つまり体育種目や教授法に問題があるとする方向です。教育は社会と文化にとって何よりも大切なことがらです。古代ギリシアに遡る教育の意義と特殊性を意識しつつ、広く自由に論じていきたいものです。

(回答:N.N.)