Q&Aコーナー

質問

  松平千秋訳イリアスを読んで色彩表現に疑問を持ちました。圧倒的に黒色が多く、ついで白色で暗いイメージが多く色がイメージできないものもたくさんあります(華麗な武具、見事な武具・・)。特に海の色に関しては灰色が13回、葡萄酒色が5回、以下紫色、黒色、菫色とエーゲ海の一般的イメージと異なるものが多く感じます。ホメロスの意図の様なものがあるのでしょうか。

(質問者:吉本裕 様)

回答

 私の研究課題と合致する大変興味深いご質問に回答させていただきます、西塔と申します。最初に、ホメロスの意図のようなものがあるのか、という吉村さんの疑問に対し、単刀直入に私の回答を申し上げますと、詩人は物語創作の意図があって言葉を選択し、場面描写のために言葉を編んだのだから、意図はあったと考えます。また、ホメロスの色彩世界はカラフルであった、が私の持論です。

 確かに「黒塗りの船」や「灰色の海」などが頻出しますので、暗いイメージを持たれるのは当然ですが、色彩に関わる表現はほかにもたくさんあり、ホメロスには暗いイメージを持つ黒や灰色が際立って多い、ということでも実はないのです。例えば、赤やピンク、紫、黄色(e.g., eruthros, rodon, phonix, porphureos, xanthos−−詳細についてはご興味ございましたら拙稿を参照していただければ幸いです)など、明るいイメージをもたらすと一般に想像できる色彩もあります。また、赤にも明るい赤と暗い赤があり、一様にまとめることが難しく、逆に言えば、各々の色が鮮やかに個性を放つ点が「色」の面白さでもあります。白を示すと言われる古代ギリシア語も一つではなく、白と訳されることの多いleukosには、光や輝きの意味もあります。「陽の光りの如く純白に輝き」「艶やかな足」という表現にもお気づきなったと思いますが、光や輝きを示すギリシア語(argos, marmareos, sigaloeisなど)も実は多く、さらに金・銀・銅もあります。こういった色彩表現が場面描写の中に見事に編み込まれているので明るいイメージもホメロスにはあります。なお、私が知る限りですが、松平訳では色彩修飾語を敢えて(?)省いている箇所がありますので、実は色彩に関する表現はもっとあるとお考えいただいて良いと思います。

 吉本さんと同様の疑問を持った研究者たちは、定型句表現をパッチワークのように組み合わせて物語を作成したのでホメロスには色彩感覚がない、と主張しました(Gladstone 1858など)。また、ダーウィンの進化論による影響と白人至上主義の見地から、古代の人々の能力を軽視し、彼らの視力も発展段階の途中であったため、古代ギリシア人には色彩を知覚する能力が欠けていた、という見解に辿り着きました。しかし現在では、詩人の創造性を主張し、古代には単純にその語彙自体が存在しなかった、或いは名付ける言葉を産出する必要性がなかった、さらには古代と現代では認識する感覚が違った、という新たな立場からの見解に基づく議論が盛んです。古代人も、私たちと同じ空や海、山を眺めていました。その光景をどのように受け取ったのか。日本語で、私たちは「青い」という形容詞を付けて空を表現しますが、古代には、その「青い」という語彙すら存在しなかったと考えるわけです。また、モノを見て認識することと、そのモノの色を叙述することは、文化や言語、その時代と社会的背景によって変化します(Pastoureau 2012 など)。

 別の言語に変換された瞬間に、イメージの操作が行われます。一つの色彩修飾語でも、翻訳者によって与えられる訳語は異なり、英語版でも相違が見られます。一例として、松平訳にある「葡萄酒色の海」(epi oinopa ponton)を挙げると、Murray や Fitzgeraldは “the wine-dark sea”、Lattimoreは “the wine-blue water”、Hammond は “the sparkling sea” と訳しています。また、Alexander (2013) は、論文のタイトルに ‘Winelike Sea’ と表現しています。さらに、翻訳者が、同じ単語にも異なる訳語を与えることも当然あり、「神聖な」を意味する dîos という古代ギリシア語が、海を修飾する際には「輝く」と訳されている箇所も散在します。言語変換に従事する人々の認識によって使用する表現が異なり、読み手が受け取るイメージも操作されることになります。従いまして、翻訳を読んで色のイメージが湧かないということは十分あり得ることです。

 地中海に浮かぶ島々とその背景に映える青い空と海は絶景ですが、これもまたメディアによる操作の結果、世間に刷り込まれたイメージです。海に沈む太陽を眺めれば、真っ赤な、レッドオレンジジュースやワインの色のグラデーションように空が染まり、海の上にもオレンジと赤や赤紫色が映え、それも非常に素晴らしい光景です。海の色も、時間帯と気候、そして太陽の光の角度により、まさしく変幻自在、いろいろ・・・・です。「海」について簡単に申し上げると、現在まで私が調べた限り、ホメロスには灰色や葡萄酒色だけではなく、幅広い色合いで叙述され明暗のグラデーションを想像できます(glaukos、ioeidês、kelanos, arg-など)。陽光に照らされている海の場面もあります。まだ正確な回数と場面・文脈の考察まではできていませんが、少なくとも詩人は、海を暗い色合いだけで捉えていたわけではないことは明らかです。拙稿の一つ (Saito 2015)では『イリアス』に13回登場する灰色(polios)の海に触れ、文脈と物語全体の構成を考察してみると、決して場面に影を落とすような暗さだけではなく、むしろ海に向かう前向きなイメージをもたらす役割もあります。灰色を示す語は poliosだけではありませんし、『オデュッセイア』での使用回数も含めれば、灰色の海という表現はホメロスには13回以上になります。なお、「葡萄酒色の海」も『イリアス』には5回、『オデュッセイア』には13回あり(版によって相違あり)、全ての箇所を考察しきれていませんが、物語全体の構成と場面描写の中で操作される色彩表現との連関性を考えれば、「葡萄酒色の海」という頻出する色彩表現についても単なる繰り返しではない、と考えられます(Sassi 2017)。また、陽光によって色が変わり輝くことを考慮すれば、「華麗な武具」などの表現も、決して妙なことでもありません。陽光の下で、青銅は光り輝く。大英博物館などに所蔵されている武具たちには、博物館が設定したアングルで照明が当てられていますが、古代の自然の陽光の下では、青銅の武具たちはギラギラと華麗に輝いたことでしょう。

 「色彩」について、近年の研究動向を整理していきますと、19世紀〜20世紀に行われた色の用語や訳に焦点を絞った議論ではなく、現在の着眼点は当時の人々がどう捉えたのか。つまり共感覚、神経科学分野と関連する認識論を取り込んだ研究成果が大きく躍進し、色彩研究の幅に拡がりが見えてきました。「イメージ」とは現在の私たちが持つ感覚によって出来上がった事象であって、古代の人々が観た或いは感じとった感覚に基づくイメージとは異なります。青か?緑か?紫か?線引きは極めて困難です。現代でも「あの赤いセーターかわいい」と言う人もいれば、「あのセーターはオレンジ色だ!」と言う人もいます。余談ですが、欧州での学会発表の際に「奇妙なことにホメロスの海は灰色が多い(青がない)」と言ったところ、ある研究者(スイス人)に「私にとっては「灰色の海」はまったく普通」とコメントを頂き、印象に残ったことを思い出しました。ホメロスが当時どのように感じ取ったのか、それはわかりません。しかし感じ取ったこと・認識したことを物語の中に埋め込んで景色を描いた、と考えられます。

 古代より色彩表現が私たちの歴史や文化、社会に与えた影響は大きく、非常に重要な印としての役割を果たしてきたことは確かです。いつか、島々が連なるエーゲ海に映える数えきれないほどの色のグラデーションを自分の眼で確かめてみてください。きっと、果てしなく続くエーゲ海の色たちにイメージは覆され、アクロポリスの丘に登ればたくさんの青に圧倒され、ホメロスが何故いろんな色彩表現を使用したのか、自分なりのイメージで感じ取れるのではないかと思います。

書誌情報

  • Alexander, C., “A Winelike Sea,” Lapham’s Quarterly, 2013. <http://www.laphamsquarterly.org/sea/winelike-sea>.
  • Gladstone, W. E., “Homer’s Perception and Use of Colour,” Studies on Homer and the Homeric Age III, Oxford University Press, 1858, pp. 457-99.
  • Pastoureau, M., The Colours of Our Memories, Cambridge: Polity Press, 2012.
  • Saito, Y., “The Uncertain World of Darkness in the Iliad,” Thinking Colors: Perception, Translation and Representation, edited by V. Bogushevskaya and E. Colla, Cambridge Scholars Publishing, 2015, pp. 95-117.
  • Sassi, M. M., “The Sea was Never be Blue,” Aeon 31st July 2017. <https://aeon.co/essays/can-we-hope-to-understand-how-the-greeks-saw-their-world>

(回答:西塔由貴子)

2020/10/29