Q&Aコーナー

質問

メトロポリタン美術館蔵のヘロドトス胸像につき、紀元後の2世紀の模刻であり、オリジナルは紀元前4世紀のギリシアの青銅像であるとの説明があります。このオリジナルの像は現存するのでしょうか。また、この模刻像につき、このような説明が可能な根拠をお教え願えませんか。模刻像にそのような由来が刻まれているのでしょうか。

(質問者 柏木圭一様)

回答

柏木圭一様

 ご質問ありがとうございます。

 さて一般論として、古代ギリシアとローマの彫刻について最初に簡単に記すと、以下のようになるかと思います。古代ギリシアでは奉納像や墓像などたくさんの彫刻が制作されましたが、肖像彫刻の分野は、前5世紀になってから成立したので比較的遅くなってからのことでした。ソクラテスや、歴史家ヘロドトス等、哲学者、歴史家の肖像もその頃から制作されるようになりました。

 一般に、古代ギリシアの彫刻は、原作は失われてしまっていて、ローマ時代の模刻によって現在に伝えられているものが少なくありません。つまりギリシア時代に原作が制作されて、ローマ時代に数多く複製が作られて、これらがローマでは商品として売買されて現在まで残されているわけです。一つの原作にさかのぼる、数種の複製作品(模刻)がローマ時代に制作されて残されていることが多くあります。古代ローマ人の間で、古代ギリシア作品の文化的な価値が高かったことが、こうしたたくさんの模作によってわかります。

 古代ギリシアでは、大理石によってもブロンズによっても彫像が制作されましたが、ローマ時代にこれらの原作が模刻される場合は、材質は必ず大理石が用いられました。ブロンズよりも、大理石の方が材料が安価だったからです。従って、ギリシア時代にブロンズ原作が成立し、ローマ時代になって大理石によって模刻の制作がされるというケースが非常に多く見られます。(メトロポリタン美術館のヘロドトス像もそうした例の一つです。)ローマ模刻には、ただし原作がどのようなものであったのかなどの説明が刻まれている場合はほとんどありません。メトロポリタンのヘロドトス像のように、その肖像が誰を表しているのか、人物名が模刻に刻まれていることは時々ありますが、その他の詳しい説明はないのが普通です。原作がいつ頃制作されたのか、どこに建立されていたのか、彫刻家は誰だったのか、あるいは、原作は大理石だったのかブロンズだったのかなど、知りたいことはたくさんありますが、残念ながら、そうした事情が刻まれていることはほとんどありません。

 ローマ模刻を研究する際には、一番の手がかりになるのは様式です。髪の毛の形、髭の形、頭部の全体の形、その他、容貌の造形によって、原作がいつ頃制作されたのか、おおよその見当をつけることができます。また同じように、様式から、模刻が作られたのがローマ時代のいつ頃であったのかも推定することができます。

 さてニューヨーク、メトロポリタン美術館の肖像彫刻についていうと、胸にヘロドトスと名前が刻まれており、こうした銘のあるヘロドトス像は、3体のローマ模刻が残されています。様式からいってこの作品はローマ模刻で、原作は古代ギリシアで有名な作品の一つだったろうと思われます。模刻の成立年代は、おそらく紀元後150年頃の、ローマ模刻がよく作られたアントニヌス時代と思われます。原作の成立年代は、おそらく古典時代後期かヘレニズム時代の初期だろうと思われます。これらは様式からの推測です。

 なぜ原作がブロンズであったとわかるのかについては、この彫像の場合は硬貨が情報源になっています。ヘロドトスの故郷は、小アジア(現在のトルコ)のハリカルナソスですが、このハリカルナソスから、ヘロドトス肖像浮彫を伴う硬貨がいくつか出土しています。これらの硬貨の浮彫には記銘があり、ヘロドトスの「古い」肖像を模したものであることが刻まれています。また浮彫の様式から、ヘロドトス原作肖像の年代がだいたいの年代にすぎませんが推測できます。おそらく前4世紀から前3世紀くらい(古典時代後期から初期ヘレニズム時代)のヘロドトス像を写したものだろうと推定されています。

 これらを総合して、おそらく古典時代後期から初期ヘレニズムに、ヘロドトス像が制作され、故郷ハリカルナソスに存在していたことが推測されます。メトロポリタンのローマ彫像は、この原作を模刻したと思われるわけです。まとめると、模刻の様式から大体の原作の年代がわかり、この彫像の場合には、硬貨によって別の種類の情報がもたらされたというわけです。

(この回答を書くにあたって、下記の書物を参照しました。
K. Schefold, Die Bildnisse der antiken Dichter, Redner und Denker (Basel 1997) p. 348.)

 またローマ時代の模刻とその研究については、下記の書物に詳しく書かれています。
関隆志「ローマン・コピーの作り方」『世界美術大全集5 古代地中海とローマ』(小学館)(巻末論文)

回答者 筑波大学芸術系 長田年弘