訳者からのメッセージ

内山勝利:アリストテレス『自然学』

アリストテレスのスタイル

 言うまでもなく今日の「物理学」physicsは「自然学」physicaと名称を共有するその後裔であるが、アリストテレスの『自然学』は、およそ自然事象についての観察や実験などの手法は用いず(むろん計算式と呼ぶほどのものも一切使われない)、もっぱら論理的な議論の積み重ねのみによって自然的事物の総体に通底するその存在根拠(原因)と、それに直結する基本概念(運動変化、時間、場所など)の解明に全巻を費やした著作である。周到の限りを尽くした議論に次ぐ議論にはたじろがされるかもしれないが、各論述はいずれも懇切かつ明快で、むしろ著者の目指すところは誰にでも理解できるところまで順を踏んで論じ尽くすことにある、と言ってもよかろう。これも言うまでもなく、今日に伝存する彼の著作Corpus Aristotelicumはすべて講義ノートないし講義録の集成だったのだ。そのために文章としては整っていない箇所があるにせよ、基本的には聞いて分かるように書かれているはずである。今さらながらかもしれないが、アリストテレスは、論じている事柄は難解であるにせよ、それをできうる限り平明化しようとしており、しかもそれを論ずるのにどこでも少しもむずかしいことは言っていないことに気づかされた(むろん、この邦訳が彼の言わんとしていることのすべてを正しく読み解き尽くした上でなされたものだというつもりではない。むしろ、そういうテクストであることを感知しつつも、その一片の翳りもない蒼天のような明快さを追究した思考の軌跡を適切に訳文にしえなかったという思いを至るところで払拭しきれなかった、というのが実状である)。

 彼の文章は専門的な哲学用語に満ちていて馴染みにくいものという印象を持たれがちだが、実際にはそれらの言葉はけっして特殊に造語されたものではなく、基本的に日常語であり、その通例の語意語感のままに使用されているのである(「エネルゲイア」「エンテレケイア」のみがそのわずかな例外であろう)。今回の邦訳に当たってはそのことに留意して、できるだけ jargon の羅列のようにならないように、むしろすべての用語を日常語の延長の中で理解できるものに引き戻すように、意識して努めた。従来は、むしろそれらの術語を術語として(あるいは記号として)固定化しつつ、概念の綱渡りのようにしてアリストテレスを読むことがなされてきたのではないだろうか。そうした固定観念だけでもいささかなりと和らぐような、「普通に読める」邦訳になっていればさいわいである。

 また、ギリシア語の持っている独特の柔軟性を十全に生かし切った語法や表現を駆使して、難解な論点を的確に、そして精確に解きほぐしていく論法の巧みさに改めて驚かされることもしばしばだった。彼の失われた「初期著作」について言われるような「弁舌の黄金の流れ」(キケロ)は、そのままここに見出されはしないにしても、今日に伝存する「著作集」もまた卓越したギリシア語の操り手による作品であることはまぎれもない。もっとも、細大漏らさず問題を突き詰めていく、ほとんどマニアックなまでの彼の「論証癖」に拮抗しうる知的持続力をもって、ここに展開されている議論の大海を渡りきることは、やはり容易ではないかもしれないが。

内山勝利(京都大学名誉教授)

書誌情報:内山勝利訳、アリストテレス『自然学』(岩波書店『新版 アリストテレス全集』(岩波書店『新版 アリストテレス全集』第4巻、2017年11月)