Q&Aコーナー

質問

 自分ではうまく文献資料を見つけることができなかったので、質問させてください。

 ヘラクレスの 12 の試練のうち、アウゲイアースの家畜小屋のお話で牛の頭数が 3000 頭と wikipedia などではされています。この頭数は、どの古代の文献に記載されているのでしょうか?

  アポロドーロス(高津 春繁 訳, 1978, 岩波文庫)や、ヒュギーヌス(松田 治, 青山 照男 訳, 2005, 講談社学術文庫)では、このヘラクレスの試練の記載があるものの、頭数が記載されていません。高津先生のギリシャ神話の入門書であるギリシャ神話(高津 春繁, 1965, 岩波新書) には 3000 頭と記載されていることは見つけました。しかし高津先生がどこからこの 3000 頭というのを引用したのか書かれておらず原典は何だろうと疑問に思っております。

 どの古代の文献からこの 3000 頭が見出されたのか、ご教授いただけないでしょうか。

(質問者: 美術史卒業生様)

回答

 ご質問、有難うございました。しかし筆者(柴門老人)は目下取り込み中ゆえ、新旧二人の知人に調査をお願いして、その報告を以下に掲げることにしたいと思います。(固有名詞の音引はそれぞれ原文のママとします)

I.今来賢太氏の報告。

 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』「ヘーラクレース」項(238頁右)や 野上弥生子訳、ブルフィンチ『ギリシア・ローマ神話 付インド・北欧神話』(197頁)には確かに、アウゲイアスの牛三千頭とあるので、典拠はすぐに分かると思い、今評判のツールに尋ねてみました。

(1)Bard(吟遊詩人)の第一の答。記述は省き、箇条書きだけを記すと、

ヘロドトス『歴史』では3000頭。オウィディウス『変身物語』では3000頭。ディオドロス『神代地誌』では1200頭。アポロドーロスの『ギリシア神話』では1000頭。

 アウゲイアースの家畜小屋の牛の頭数が古代の文献によって異なるのは、ヘラクレスの12の試練の物語がギリシア神話の中で広く語り継がれる中で、さまざまな形で変化してきたから、だそうです。

(2)Bard(吟遊詩人)の第二の答はさらに詳しいので全文を引きます。

「アウゲイアースの家畜小屋の牛の頭数は、古代の文献によって異なります。ヘロドトス『歴史』(紀元前5世紀)では、アウゲイアースの牛の頭数は「数え切れないほど」とされています。エウリピデス『ヘラクレス』(紀元前430年頃)では、アウゲイアースの牛の頭数は「3000頭」とされています。オウィディウス『変身物語』(紀元前1世紀)では、アウゲイアースの牛の頭数は「300頭」とされています。このうち、最も古い文献であるヘロドトス『歴史』では、牛の頭数は明確にされていません。しかし、アウゲイアースの家畜小屋は「100年も掃除されていなかった」とされていることから、牛の頭数は膨大なものであったと考えられます。
エウリピデス『ヘラクレス』では、ヘラクレスがアウゲイアースの家畜小屋を掃除する様子が具体的に描かれています。ヘラクレスは、アルカディア川の水を家畜小屋に導き、一晩のうちに糞をすべて流し去ったとされています。このことから、アウゲイアースの家畜小屋は非常に広大なものであったと考えられます。
オウィディウス『変身物語』では、アウゲイアースの家畜小屋は比較的規模が小さいものとして描かれています。ヘラクレスは、牛を外に出し、家畜小屋の糞をすべて掃き出したとされています。このことから、オウィディウスは、アウゲイアースの家畜小屋を、ヘロドトスやエウリピデスとは異なるイメージで捉えていたと考えられます。
このように、アウゲイアースの家畜小屋の牛の頭数は、古代の文献によって異なります。しかし、いずれにしても、牛の頭数は膨大なものであったと考えられます。」

(3)柴門老人のコメント。

 ヘロドトス『歴史』にもオウィディウス『変身物語』にもアウゲイアスは出てこないし、ディオドロス『神代地誌』にもアポロドーロス『ギリシア神話』にも具体的な頭数は記されません。エウリピデス『ヘラクレス』に家畜小屋の掃除の様子が描かれるというのもデタラメです。

(4)OpenAIの答はずっと慎重でした。

ヘラクレスの12の試練に関する最も広く知られた情報源は、古代ギリシャの詩人ヘーシオドスと、紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスです。ただし、アウゲイアースの牛の頭数に関する具体的な数字がどの古代の文献に基づいているかを特定するのは難しいかもしれません。
一般的には、これらの物語は口承伝承や異なる著述家による異なる解釈に基づいており、特定の数字が確立されたものではない可能性があります。アウゲイアースの牛の頭数が3000頭とされる具体的な出典があるかどうか、またそれがどの文献に由来するかを正確に特定することは難しいかもしれません。 
もし特定の文献や研究がこの数字に触れている場合、それは専門の古典学や神話学の文献で見つかる可能性があります。

(5)柴門老人のコメント。

 具体的な数字を保留するのはよいが、ヘシオドスとヘロドトスにヘラクレス12の試練の情報があるというのは間違いです。ヘラクレスの難業は初め4つないし6つが現れ、12種が出揃うのはようやく前5世紀のこととされます(Timothy Gantz, Early Greek Myth. Vol.1. p.381f. The Johns Hopkins UP 1993)。

II.古拙鈍太氏の報告。

 (1)高津先生の『ギリシア・ローマ神話辞典』は非常に詳しく便利だが、典拠が挙げてないのが難点で、典拠を知りたいとき私は、高津先生が多く依拠する

Pierre Grimal, Dictionnaire de la mythologie grecque et romaine.
を開きます。その192頁「ヘラクレス12の難業 アウゲイアスの厩舎」には、このエピソードに関わる古代文献が幾つも挙がっています。

  • ピンダロス『オリュンピア祝勝歌』第10、26行以下、及びそこへの古註。
  • アポロニオス・ロディオス『アルゴナウティカ』1歌172行、及びそこへの古註(スコリア)。3歌362行。
  • アポロドロス『ギリシア神話』1.9.16, 2.5.5. 質問者がご覧になった箇所。
  • ヒュギヌス『ギリシャ神話集』14章、30章。質問者がご覧になった箇所。
  • パウサニアス『ギリシア案内記』5巻1章9節以下、5.3.1.
  • テオクリトス第25歌「ヘラクレスの獅子退治」全篇
  • シケリアのディオドロス『世界史』4.13.3.
  • Tzetzes,Chiliades.2.278
  • ホメロス『イリアス』2.629及び11.700への古註A.
  • セネカ『狂えるヘルクレス』247以下。

 (2)もう一つ忘れてはならないのが、同じく高津先生の訳されたアポロドーロス『ギリシア神話』。古代における最良のハンドブックだが、ここに見える話の関連話を知りたいときは、私は

J.G.Frazer, Apollodorus.I,II.Loeb Classical Library.(ギリシア語テクストと英訳。有益な注が数えきれず)
を参照することにしている。『ギリシア神話』2.5.5へのフレイザー注にも関連文献が幾つも挙がっており、セネカ『狂えるヘルクレス』247の他はP.グリマル書と全く同じである。

 そこで私はほぼ全てを確かめてみたが、牛の数3000頭というのはどこにもなかった。唯一、具体的な数を記すのはテオクリトスで、「ヘラクレスの獅子退治」127行あたりに、「足の白い黒牛が三百頭に赤牛が二百頭・・・ヘリオスの聖牛が別に十二頭」とあるのみである。

 ただ一つ、Tzetzes,Chiliades.2.278.は手許にないので見ることができなかった。

III.柴門老人のまとめ。

 今来賢太氏の調査方法は危険なことがよく分かりました。古拙鈍太氏は大きな辞典にはあたっていないようなので、

Pauly-Wissowa,Real-Encyclopädie der Classischen Altertumswissenschaft.
W. H. Roscher,Ausführliches Lexikon der Griechischen und Römischen Mythologie.
のAugeias項を引いてみましたが、やはり膨大な群れを所有とあるだけで、具体的な数字の記載はありません。Tzetzes,Chiliades は私も持っていませんので、文学部図書館で借覧したところ、そこに出ていました。ヨハンネス・ツェツェスは12世紀の博学の人、数々の注釈の他、Biblos Historikē(12,674行)は1巻千行の詩の形で書き進められるゆえ、Chiliades(千行の歴史)と呼ばれています。その2巻278行に、「(ヘラクレスは)5番目に、エリス人の王、ポルバスの子アウゲイアスの三千頭の牛の糞を運び出す」とあります。

 この書は約400人の作家を引用しているとのことで、この部分については、アポロドロスに拠るものの如し、と上のフレイザーは書いています。

 尚、ギリシア語文献データベースTLG(Thesaurus Linguae Graecae)でβοες(牛)の「βο+ τρισχιλι(3千)」で検索したところ、ルキアノス『偽預言者アレクサンドロス』1節に、「例のアウゲアスの牛舎を・・・きれいにしてみたいと思う。その糞を、ほんの数杯の籠の分だけ持ち出すことになるだろうが・・・三〇〇〇匹の牛が長年にわたってしてきた糞の山がいかに筆舌に尽くしがたいものであったか、推量できるようにしたいのだ」(内田次信訳)、というのが見えました。アウゲイアス(アウゲアス)の父ヘリオス(太陽神)は各地に牛の群れを所有するとされますので(『オデュッセイア』12歌他)、アウゲイアスも父譲りで沢山の牛を持つとされたのでしょう。

 

(回答:柴門老人)